〇 1928年(S3)、淡路島の草競馬に移転問題が起り、園田村村長中村竜太郎氏が村の
繁栄と財政救済のために誘致したのをその発端とする。
1930年(S5)竣工、地方競馬として開催、1936年(S11)に園田駅が開設されるまでは、競馬開催中のみ臨時駅が設けられた。地の利を得て、多い時には2,000人のファンを集めた。当時の入場料は20銭、馬券は1円だった。
1941年(S16)頃から終戦までの間、馬も戦争のため徴発を受け、戦地へ送られたので開催されなかった。
1948年(S23)、地方復興資金獲得のためという名目で、県営競馬として開催されるようになり、その後の競馬公害問題、馬糞、臭気、砂塵などに連なる。
1958年(S33)、暴れ馬が原因で溝へ転落した小学生の死亡事故を契機として、
廃止運動が展開する。しかし地方自治体の財源確保のために聞き入れられず、廃止運
動は、道路、施設整備等の地元への補償要求運動に変化していった。
1965年(S40)頃からは車公害が出始めた。1971年(S46)には八百長事件、
1974年(S49)には焼打ち事件が発生した。その後、往年の賑わいは見られなくな
ったが、周辺に及ぼす競馬公害の除去、改善対策等の協議を行うために、「園田競馬
周辺改善委員会」が設けられ、その任にあたっている。
「東園田町会50周年誌より引用」
文責. 園田まちづくり委員会
坂口 勲
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