2019.09.12 05:54尼崎のふるさと まちに残る 村田邸村田邸 東園田4丁目 〇 尼崎市都市美形成建築物 第12号。 所在地:尼崎市東園田町4丁目。 特徴:尼崎市北部の藻川東側の集落、旧穴(あの)太(う)の西端に位置している農家形 式の住宅である。 屋敷全体が周辺の通りからよく見渡せ、比較的新しい建築様式で あるが周囲を圧倒するほどの大屋根や、緑豊かな庭、門、塀などが 落ち着いた雰囲気を醸し出している。 長屋門は以前園田郵便局として使われており、その表札が今も残 されている。 文責. 尼崎市都市美形成建築物所有者ネット研究会・松琴会
2019.09.09 07:48富田 とうだ〇 園田地区の大字。 市域北東部、猪名川の西岸に位置する。 弥生後期~古墳時代の東園田遺跡がある。 『摂津志』によれば中世には椋(くら)橋(はし)西荘の荘域であった。 資料上の初見は1605年「慶長十年摂津国絵図」、ただし畠田村と誤記されている。 近世には村の大部が1598年(慶長3)旗本大島氏(光義系)の知行所、1637年(寛永14)幕府領、48年(慶安元)大坂定番(じょうばん)の上総国飯野藩保科氏の領地となった。 小部は当初幕府領と思われ、26年(寛永3)大坂城代の武蔵国岩槻藩阿部氏(正次系)の領地となり、48年幕府領、94年(元禄7)武蔵国忍(おし)藩阿部氏(忠吉系)の領地となり、1823年(文政6)幕府領、となった。 村高は「慶長十年...
2019.09.09 07:40尼崎市と園田村の合併 行政区・園田〇 1889年(M22)の町村制公布により、大字18ケ村が1つの村となり、園田村が生まれた。 尼崎市は1936年(S11)に小田村と合併、1942年(S17)に武庫・大庄・立花 三村と合併し、園田村にも合併の働きかけを行った。 1946年(S21)4月、再度尼崎市から合併の申し入れがあり、その直後伊丹市か らも同様の申し入れがあった。当時園田村は財政面等、多くの懸案事項を抱えていた が、尼崎市との合併問題は賛否両論に分かれて、村民の間に激しい紛争をまきおこし た。同年11月、尼崎市との間に合併協定の覚書をとりかわしたが、その後も激しい 反対闘争があり、村の行政にも混乱を生じた。 一方、岸田兵庫県知事は、尼崎市と園田村の合併を内務省に申請し、1947年(...
2019.09.09 07:31園田競馬の由来 兵庫県営〇 1928年(S3)、淡路島の草競馬に移転問題が起り、園田村村長中村竜太郎氏が村の 繁栄と財政救済のために誘致したのをその発端とする。 1930年(S5)竣工、地方競馬として開催、1936年(S11)に園田駅が開設されるまでは、競馬開催中のみ臨時駅が設けられた。地の利を得て、多い時には2,000人のファンを集めた。当時の入場料は20銭、馬券は1円だった。 1941年(S16)頃から終戦までの間、馬も戦争のため徴発を受け、戦地へ送られたので開催されなかった。 1948年(S23)、地方復興資金獲得のためという名目で、県営競馬として開催されるようになり、その後の競馬公害問題、馬糞、臭気、砂塵などに連なる。 1958年(S33)、暴れ馬が原因で溝...
2019.09.09 07:29地名について 園田・園和〇 園田 平安時代、このあたりに「橘(たちばなの)御園(みその)」という荘園がありました。これは当時、全 国各地にあった竹・桑・うるし・松茸などの御園と同じように、橘(みかん)をつく っていた果実中心の荘園でした。 その後果実栽培がすたれ、田地になりましたが、この地が「御園荘」と呼ばれてい たところから「園田」という地名が生まれたといわれています。 〇 園和 この名は1935年(S10)阪急がこの地を買収整地した時に新しく出来たもので 、園田と昭和、または園田と平和を組み合わせて出来たものと言われています。 現在小学校や公民館などにその名が使われていますが、行政地名としてではなく 、一般通称として親しまれています。 ...
2018.11.27 23:45猪名川自然林〇 昭和42年(1967年)東園田地区の水害をなくすため、猪名川の蛇行部分を治水対策として削り、残った河川敷は住宅地にすると決まり、工事が始まりました。 岡野錦也大阪大学医学部教授が、公有地を集め公園にするよう陳情しました。 昭和46年地域住民が「猪名川自然と文化を守る会」を結成し、全面保 存を陳情しました。 昭和47年「2割を残し、残りは住宅地とする」と否決されました。 昭和47年7月、小学5年6年生を中心に「猪名川の子供会」が結成さ れ、自然観察・学習会:発表会、子供会組曲発表、タコ作り・タコあげ大 会、落ち葉集めとヤキイモ大会等の行事と、子供会ニュースの毎月発行 と、子供達の自発的活動を大人が支える活動をしました。 昭和58年、第1回朝日...
2018.10.31 11:36神さまのお使い「白ぎつねとなまず」 白井神社 〇 昔、大そう力の強い神さま、神々から「力持ちの神さま」また「ピンひげの神さま」 とも言われている神さまがおられた。 神さまにも、家来のなまず達にもピンひげがあるからであった。 ある時、大神さまが病気ではないかとのうわさが広がった。 「えらいことや! どこがお悪いのか?」神さま達は寄るとさわるとこの話で持ちき り。 と言うのは、女神さま。神々のなかで一番えらいお方。いつも深い森の奥に住んで おられて、神さま達と直接話をされる事はめったにない。大神さまには沢山のきつね が仕え、神さま達への用事があると、きつね達がお使いしとった。 大神さまが一番気に入っておられる白きつねが、お取次ぎをよくしとった。その白 きつねが、力持ちの神さまの所へや...
2018.10.31 11:32イベント・お祭りで賑わう船詰神社 東園田1丁目〇 船(ふな)詰(づめ)神社(じんじゃ)のイベント ① 節分祭:2月3日、夕刻より。盛大な豆まきに子供たちの歓声があがり、例年老若 男女500名を超える人々で賑わう。 ② 船詰狂言:年1回、春か秋に境内で開催、船詰の森が好事家の笑いに包まれる。 〇 船(ふな)詰(づめ)神社(じんじゃ)の御祭礼日 ① 歳旦祭:大晦日~1月元旦。宮当番(氏子)は23時頃より篝火を焚き、初詣 参拝者を迎える。 ② トンド祭り:1月15日。朝6時より神事を行い、納められた古いお札が焚き あげる。昔は、そのイベント・お祭りで賑わう船詰神社 東園田1丁目火種を持ち帰り小豆(あずき)粥(がゆ)を炊く習わしであった。 <1月1日~15日まで、新年交通安全...