2018.11.27 23:45猪名川自然林〇 昭和42年(1967年)東園田地区の水害をなくすため、猪名川の蛇行部分を治水対策として削り、残った河川敷は住宅地にすると決まり、工事が始まりました。 岡野錦也大阪大学医学部教授が、公有地を集め公園にするよう陳情しました。 昭和46年地域住民が「猪名川自然と文化を守る会」を結成し、全面保 存を陳情しました。 昭和47年「2割を残し、残りは住宅地とする」と否決されました。 昭和47年7月、小学5年6年生を中心に「猪名川の子供会」が結成さ れ、自然観察・学習会:発表会、子供会組曲発表、タコ作り・タコあげ大 会、落ち葉集めとヤキイモ大会等の行事と、子供会ニュースの毎月発行 と、子供達の自発的活動を大人が支える活動をしました。 昭和58年、第1回朝日...
2018.11.27 23:42猪名川・藻川にいだかれて〇 猪名川は摂丹の境界、大野山を源とし、多くの川を合流しながら伊丹市口酒井付近で 藻川を分流し、戸ノ内地先で再び藻川を合わせ神崎川に合流する。流域は大阪・京都 ・兵庫の二府一県にまたがり、流路延長は四三.二㎞である。 猪名川は昔から両岸が狭く、自然的に支流藻川が形づくられ、藻川は本流猪名川の 補助的役割りを果たしてきたが、一九六四年(S39)両河川は第一級河川となり、そ の両堤は整備され流域住民の憩いの場となっている。 かつて両河川は、農民にとって命よりも大切な水源であり、多くの井堰(いせき)の樋門が設けられていたが、旱魃(かんばつ)期には幾度となく水論が起こり、流血の惨事を引き起こした。 また、この水運を利用して上流から材木を筏に組んで流したり...
2018.11.27 23:39猪名寺地区の歴史 猪名寺〇 「ありま山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ 人を 忘れやはする」と 百人一首にも詠まれているように、猪名川下流域一帯は相当に古い歴史を有しています。 その足跡の一つが七世紀頃に創建されたという猪名寺廃寺です。 私が小学生の頃、奈良の文化財研究者や大学生がその発掘作業をし、法 隆寺形式の伽藍が発見されたとのことでした。 現在は佐璞(さぼくが)丘(おか)自然林の一角に大きな礎石が残されており、往時の面影を 今に伝えています。 また、佐璞丘公園内には猪名野神社(伊丹市)の御旅所(元宮)があ り、毎年秋には猪名野神社から猪名寺まで京都の時代祭のような行列の 御渡りが行われていましたが、昭和の中頃を最後に時代行列の雄姿は見ら れなくなり、今は心の中に...