富田 とうだ

〇 園田地区の大字。 
市域北東部、猪名川の西岸に位置する。
弥生後期~古墳時代の東園田遺跡がある。
『摂津志』によれば中世には椋(くら)橋(はし)西荘の荘域であった。
資料上の初見は1605年「慶長十年摂津国絵図」、ただし畠田村と誤記されている。
近世には村の大部が1598年(慶長3)旗本大島氏(光義系)の知行所、1637年(寛永14)幕府領、48年(慶安元)大坂定番(じょうばん)の上総国飯野藩保科氏の領地となった。
小部は当初幕府領と思われ、26年(寛永3)大坂城代の武蔵国岩槻藩阿部氏(正次系)の領地となり、48年幕府領、94年(元禄7)武蔵国忍(おし)藩阿部氏(忠吉系)の領地となり、1823年(文政6)幕府領、となった。
村高は「慶長十年摂津国絵図」に515.883石、「元禄郷帳」に503.425石「天保郷帳」に503.507石とある。
三ツ又(ゆ)井組に属した。
氏神は船(ふな)詰(づめ)神社(近世には船詰大明神社)、寺院は浄土真宗本願寺派善念寺
1889年(明治22)以降は園田村、1947年(昭和22)以降は尼崎市の大字となった。
61年の町名改正と66・77年の土地区画整理により東園田町の一部となり
冨田という地名は消滅した。
                     執筆者. 地域研究資料館

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