〇 1889年(M22)の町村制公布により、大字18ケ村が1つの村となり、園田村が生ま
れた。
尼崎市は1936年(S11)に小田村と合併、1942年(S17)に武庫・大庄・立花
三村と合併し、園田村にも合併の働きかけを行った。
1946年(S21)4月、再度尼崎市から合併の申し入れがあり、その直後伊丹市か
らも同様の申し入れがあった。当時園田村は財政面等、多くの懸案事項を抱えていた
が、尼崎市との合併問題は賛否両論に分かれて、村民の間に激しい紛争をまきおこし
た。同年11月、尼崎市との間に合併協定の覚書をとりかわしたが、その後も激しい
反対闘争があり、村の行政にも混乱を生じた。
一方、岸田兵庫県知事は、尼崎市と園田村の合併を内務省に申請し、1947年(S22)2月27日、兵庫県告示第114号を以って正式にこれを承認した。
この合併によって、尼崎の人口は園田村19,288人を加えて191,845人、面積は園田村9.4㎢を加えて49㎢となり、園田区域を所管する園田支所が設けられた。
大字18ケ村
田(た)能(のう)・椎堂(しどう)・冨田(とうだ)・穴(あの)太(う)・法界寺(ほうかいじ)・戸ノ内(とのうち)・猪名寺(いなでら)・南清水(みなみしみず)・口(くち)田中(たなか)・上食(かみけ)満(ま)
中食(なかけ)満(ま)・下食(しもけ)満(ま)・瓦宮(かわらのみや)・小中島(こなかじま)・若(なこ)王子(うじ)・御園(みその)・上坂部(かみさかべ)・森(もり)
「東園田町会50周年誌より引用」
文責. 園田まちづくり委員会
坂口 勲
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