2019.09.14 08:51上食満獅子舞(保存会)について〇 上食満(現在の食満3丁目)の10月の秋祭りに奉納される獅子舞が演じられ、この獅子舞は、上食満獅子舞保存会があり継承されて、毎年行われている。 上食満獅子舞保存会は、現在も継承し郷土芸能の普及と啓発に努めるなど地域に根差した伝統芸能の保存と振興の活動から兵庫県より昭和57年(1982年)11月18日に「ともしび賞」(図1)を受賞しました。この獅子舞は、今より約400年以上前の室町時代より継承されて来た奉納神楽になり、五穀豊穣、無病息災、民生安泰等の祈願・感謝を神前に奉納するものです。毎年10月の秋祭り(注1)の宵宮、本祭の2日にわたり獅子舞が奉納されます。宵宮には、午後7時頃から当家(当年の当番家)より神社まで獅子を先頭に太鼓、笛の合奏で着物姿の...
2019.09.14 08:35猪名川・藻川の遊歩道〇 昭和58年7月、猪名川・藻川の堤防を一周する自転車・歩行者専用道路 が新設され、川の上流からアスファルト舗装され始めました。 東園田町の母親たちが、堤防の自然を子供たちに残すために署名を集めました。 3日間で5,000筆に近い署名を集め、尼崎市と尼崎市議会に陳情し、 土の道で整備するよう求めました。 尼崎市は、アスファルトなら20年近く補修の必要はないが、土道では 3ケ月程度で手直しが必要になる。 しかし、アスファルト舗装は過熱と乾燥で、自然環境をこわすと、住民 の要望を受け入れ、尼崎市議会も採択した。 全国で初めての「アスファルト・ストップ」ということで、他県や他市 の行政マンが視察に来た。 ...
2019.09.12 05:54尼崎のふるさと まちに残る 村田邸村田邸 東園田4丁目 〇 尼崎市都市美形成建築物 第12号。 所在地:尼崎市東園田町4丁目。 特徴:尼崎市北部の藻川東側の集落、旧穴(あの)太(う)の西端に位置している農家形 式の住宅である。 屋敷全体が周辺の通りからよく見渡せ、比較的新しい建築様式で あるが周囲を圧倒するほどの大屋根や、緑豊かな庭、門、塀などが 落ち着いた雰囲気を醸し出している。 長屋門は以前園田郵便局として使われており、その表札が今も残 されている。 文責. 尼崎市都市美形成建築物所有者ネット研究会・松琴会
2019.09.12 05:49農業公園〇 東園田の田能地区は、すばらしい自然が残る地域でした。 猪名川改修工事が終わった後の旧堤と新堤の間に広がる農地を見たとき、この美しい自然と農地の風景を残すために、この自然をこのままの状況で農業公園として整備することはできないかと考え計画いたしました。 全区域の用地は買収しない方法をとり、国・県有地、関西電力鉄塔敷も占有する事とし、その交渉から着手しました。公園内の農地は猪名川が運んだ沖積地で排水もよく牡丹の栽培に適しており、低地や水田は花菖蒲園とする農業公園構想を提案しました。 農家に花を栽培してもらうが、一般市民が来場者として回遊ができるようにするため、境界を確定した上で園路、花畑などは計画どおりに整備する事で了解され、...
2019.09.12 05:47猪名川改修工事 猪名川最下流域〇 歴史上多くの水害をもたらしてきた猪名川は、明治期から県による堤防改修工事などが実施されたものの、1928年(昭和3年)に完成した武庫川改修に比して根本的な対策が遅れていた。 このため1938年7月の阪神大風水害の直後には尼崎市・伊丹町・園田村・神津村により尼崎市川辺郡水害対策期成同盟会(のち猪名川改修期成同盟会)が結成されるなど、1930年代後半には地元から大阪府・兵庫県および国に対する要望が相次いだ。 この結果、内務省が改修実施を決定し、上流多田村虫生[むしう](現川西市)へのダム建設および猪名川を締め切って藻川を拡幅し幹川とする河道改修工事が1940年に開始されたが、戦時中の資金・資材・労働不足のため工事はほとんど進まなかった。 戦後...
2019.09.12 05:45堤防に吹くそよ風は極楽のあまり風〇 阪急神戸線:園田駅は1級河川の猪名川・藻川に囲まれた中之島にありま す。駅を取り巻く堤防「猪名川の右岸、藻川の左岸」は全長約10.4キロメートル あり、その大半が遊歩道という稀少なゾーンです。 (猪名川右岸、約1.0キロメートルは車道です。堤防に掛かる阪急電鉄の線路・4車線 道路は横断禁止です。安全のため側道や河川敷を迂回して歩きましょう!) 殊に藻川の下流域、田能遺跡で有名な尼崎市田能から戸ノ内までの約 2.5キロメートルは足首・膝に優しい土の道、昔の水たまり道を懐かしく回想し つつ歩くことが出来るエリアです。 猪名川・藻川を北上すれば北に池田・箕面連山。北西は宝塚連山、西に 六甲連山と、まるで外輪山の様に一望することが出来ます。 ...
2019.09.09 07:51田能遺跡と遺跡まつり〇 田能遺跡は、1965年(S40)9月、田能字中ノ坪を中心とする猪名川流域におい て、工業用水池設置の工事が進められている現場で大量の土器が発見され、この地に 大規模な遺跡があることが推定され、緊急発掘が行われた。 約1年間にわたる発掘調査の結果、石器土器の他、住居跡、各種の墓、宝石遺物等 が発掘され、この遺跡が弥生時代の全期間にわたる大集落であることが判明し、196 9年(S44)6月に国の史跡に指定された。翌年この貴重な遺跡を永久に保存するた めに、市は田能遺跡公園を整備開園して、資料館を建て、約20万点の出土品を陳列 、公開している。 毎年11月には、市民まつりの一環として、田能遺跡まつりを開催し、遺跡の顕彰...
2019.09.09 07:50猪名川自然林 阪急園田駅北エリア〇 昭和42年(1967年)東園田地区の水害をなくすため、猪名川の蛇行部分を治水対策として削り、残った河川敷は住宅地にすると決まり、工事が始まりました。 岡野錦也大阪大学医学部教授が、公有地を集め公園にするよう陳情しました。 昭和46年地域住民が「猪名川自然と文化を守る会」を結成し、全面保 存を陳情しました。 昭和47年「2割を残し、残りは住宅地とする」と否決されました。 昭和47年7月、小学5年6年生を中心に「猪名川の子供会」が結成さ れ、自然観察・学習会:発表会、子供会組曲発表、タコ作り・タコあげ大 会、落ち葉集めとヤキイモ大会等の行事と、子供会ニュースの毎月発行 と、子供達の自発的活動を大人が支える活動をしました。 昭和58年、...
2019.09.09 07:48富田 とうだ〇 園田地区の大字。 市域北東部、猪名川の西岸に位置する。 弥生後期~古墳時代の東園田遺跡がある。 『摂津志』によれば中世には椋(くら)橋(はし)西荘の荘域であった。 資料上の初見は1605年「慶長十年摂津国絵図」、ただし畠田村と誤記されている。 近世には村の大部が1598年(慶長3)旗本大島氏(光義系)の知行所、1637年(寛永14)幕府領、48年(慶安元)大坂定番(じょうばん)の上総国飯野藩保科氏の領地となった。 小部は当初幕府領と思われ、26年(寛永3)大坂城代の武蔵国岩槻藩阿部氏(正次系)の領地となり、48年幕府領、94年(元禄7)武蔵国忍(おし)藩阿部氏(忠吉系)の領地となり、1823年(文政6)幕府領、となった。 村高は「慶長十年...
2019.09.09 07:40尼崎市と園田村の合併 行政区・園田〇 1889年(M22)の町村制公布により、大字18ケ村が1つの村となり、園田村が生まれた。 尼崎市は1936年(S11)に小田村と合併、1942年(S17)に武庫・大庄・立花 三村と合併し、園田村にも合併の働きかけを行った。 1946年(S21)4月、再度尼崎市から合併の申し入れがあり、その直後伊丹市か らも同様の申し入れがあった。当時園田村は財政面等、多くの懸案事項を抱えていた が、尼崎市との合併問題は賛否両論に分かれて、村民の間に激しい紛争をまきおこし た。同年11月、尼崎市との間に合併協定の覚書をとりかわしたが、その後も激しい 反対闘争があり、村の行政にも混乱を生じた。 一方、岸田兵庫県知事は、尼崎市と園田村の合併を内務省に申請し、1947年(...
2019.09.09 07:36猪名寺地区の歴史〇 「ありま山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ 人を 忘れやはする」と 百人一首にも詠まれているように、猪名川下流域一帯は相当に古い歴史を有しています。 その足跡の一つが七世紀頃に創建されたという猪名寺廃寺です。 私が小学生の頃、奈良の文化財研究者や大学生がその発掘作業をし、法 隆寺形式の伽藍が発見されたとのことでした。 現在は佐璞(さぼくが)丘(おか)自然林の一角に大きな礎石が残されており、往時の面影を 今に伝えています。 また、佐璞丘公園内には猪名野神社(伊丹市)の御旅所(元宮)があ り、毎年秋には猪名野神社から猪名寺まで京都の時代祭のような行列の 御渡りが行われていましたが、昭和の中頃を最後に時代行列の雄姿は見ら れなくなり、今...
2019.09.09 07:31園田競馬の由来 兵庫県営〇 1928年(S3)、淡路島の草競馬に移転問題が起り、園田村村長中村竜太郎氏が村の 繁栄と財政救済のために誘致したのをその発端とする。 1930年(S5)竣工、地方競馬として開催、1936年(S11)に園田駅が開設されるまでは、競馬開催中のみ臨時駅が設けられた。地の利を得て、多い時には2,000人のファンを集めた。当時の入場料は20銭、馬券は1円だった。 1941年(S16)頃から終戦までの間、馬も戦争のため徴発を受け、戦地へ送られたので開催されなかった。 1948年(S23)、地方復興資金獲得のためという名目で、県営競馬として開催されるようになり、その後の競馬公害問題、馬糞、臭気、砂塵などに連なる。 1958年(S33)、暴れ馬が原因で溝...